「ゲームミュージック」の正体

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今、まれいんさんのブログ「ゲームミュージックの話がしたいんですよ」がアツいです。 発端は、「ゲームの雰囲気に合った(元々ゲームとは関係の無い)楽曲を集めてBGMにするのは、ゲームと1対1の関係にあるゲームミュージックというものの否定に繋がるようで不安である」といった趣旨の記事だったのですが、そこから議論が発展して、ゲームミュージックとはどのような存在であり、リスナーの接し方も含めてどうあるべきか…という話になっているようです。
一連の議論を見て、なんか妙なむず痒さを感じてしまいました。 発言を見ると、それぞれに納得できる部分があるものの、何か根本的に噛み合ってないような感があります。 というわけで、私なりにこのへんについて考えてみたいと思います。
まず、根本的に噛み合ってないと感じる部分の元凶として、人によって「ゲームミュージック」の定義が微妙に異なっているのではないか、と感じます。 「ゲームミュージック」とは、広義の意味だとそのまま「ゲーム中に流れる音楽」という事だと思います。 これだけの定義であれば、ゲーム中に流れている音楽であれば、それがPSGやFM音源であろうと、生演奏(を録音したもの)であろうと、はたまたゲーム以外の音楽から拝借したものであろうとも、それは全て「ゲームミュージック」であると思うのです。
しかし、私のように割と昔(80年代)からゲームミュージックに接してきた者にとって、「ゲームミュージック」とは「ゲーム中に流れる音楽」以上の特別な意味を持つと思うのです。 それは、以前にも書いたとおり、その独自性にあると思うのです。 「独自性」という部分は、1チップ音源で奏でられるその音色であったり、高揚感を出す為の12beatの多用であったり、生演奏では表現し得ないような音密度であったりするんだと思います。 でも、当時のコンポーザで本当にゲームミュージックならではの独自性を追求しているのは、実はほんの少数派ではないかと思うのです。 事実、「Out Run」に代表されるセガ体感ゲームの音楽などはフュージョンをベースにした音楽が多く、当時のゲームミュージックは、その曲調がトレンドになっていた時期が確実にありました。 それは、ゲームミュージックの独自性ではなく、既存の音楽ジャンルをゲームミュージックにいち早く取り入れたものの、当時のハード性能に引きずられて意図せず表れてしまった部分が独自性として評価されてしまったのではないか、と感じています。 つまり、ゲームミュージックとは、既存の音楽に近づく段階においていびつな形で現れた独自性が支持されたもの、のように思うのです。
そういう部分で考えた場合、現在のゲームミュージックはどうかといえば、「独自性」という部分では完全に魅力を失っています。 ゲームミュージックが他の音楽カテゴリと比べて特殊なのは、ハード性能の劇的な向上によって、その器が全く違うものに変わってしまった、ということです。 昔はPSG3音で音楽を表現していたのが、今や既存の音楽ジャンルを全て内包できるような器になってしまいました。 もはや、この時点で「ゲームミュージック」としての独自性は完全に失われたのではないかと思います。 現行のハードでは、唯一ゲームボーイ系と携帯電話が昔のゲームミュージックの器に近いハードを持っていますが、これらも近い将来高性能な器に置き換えられるのは目に見えています。 しかし、もうすぐリリースされる「次世代機」を見る限り、ハードウェアの表現性能が進化することはあっても退化することはありません。 この映像に昔のレベルのBGMを乗せるのは、(昔のゲームの復刻版でない限り)まず無いと思います。 従って、新作ソフトのゲームミュージックという形で昔の形態の音楽が付加されることはほぼ無いと思われます。 もはや、狭義の意味での「ゲームミュージック」というジャンルは、絶滅の道を辿るほかは無いと思うのです。
ただ、80年代のゲームミュージックは、今であれば「チップチューン」というカテゴリに属するのではないかと思います。 本来の意味でのゲームミュージックとしては存在し得ない音楽でも、アマチュアがこれらの枠の中で作るのは自由ですし、過去の音楽の良さが消え去ることはありません。 今後、狭義のジャンルとしての「ゲームミュージック」という部分で培われた独自性は、「チップチューン」という枠の中で生き続けるのではないかと思っています。
…で、元々の話に戻って。 「ゲームミュージックのアイデンティティに対する不安」で挙がっている「ゲームとゲームミュージックは、他のものに置き換わらない、1対1で強く結びついたものでなくてはならない」という意見ですが、それは何もゲームミュージックに限ったものではないと思うのです。 映画音楽やアニメーションにつける音楽だって、きっと場面とのシンクロや効果的な使い方について考え抜いて作っているはずです。 そういう意味では、映画音楽などと考え方は同じ…とも云えます。 むしろ、(製作者が意図してそういう要素を排除したのでなければ)それが当たり前のはずですが、最近のゲームミュージックではその部分が若干軽視されているのかもしれません。 従って、1対1で結びついた音楽であることがゲームミュージックの独自性とイコールで繋がるかというと、他のジャンルと比べた場合にはそうではないと思います。 また、「新しい風を送り込む為には、過去の大御所が既得権益を貪っている状況にリスナが楔を打ち込む必要がある」というご意見ですが、盲目的な支持はするべきではないと思いつつも、やたらと否定するのもどうか、というのが本音です。 ゲームミュージックの独自性の1つに、「初期のゲームミュージックは、元々音楽畑ではない人が試行錯誤して作ったものが多い」という部分が少なからずあると思うわけです。 その結果、その音楽は普通の音楽家では作り得ないような楽曲や独特な音色遣いとして表現され、それが支持されたのではないかと感じています。 これは、ゲームミュージックの独自性を構成する要素の1つでもあるし、そのコンポーザの個性でもあります。 そのコンポーザが作る音楽を否定することは、そのコンポーザの個性、更にはゲームミュージック的独自性の否定へと繋がるような危惧があります。 私は、やはり好きなミュージシャンにはその路線で作って欲しいという思いは正直ありますし、新しいものを生み出そうとするが故に、過去を否定してしまうのは悲しいです。 例えそれがマンネリであろうとも、私はそれで構わないと思います。 でも、既存のコンポーザ以外で新しい形の「ゲームミュージック」の定義を提示してくれるような人が現れるとすれば、それは喜ばしいことだと思うし、私も楽しみです。

…こんなん出ましたけどー、どーですかお客さん??(^^;)