最初で最後の「さよなら」

というわけで、祖母(以降、普段の呼び名で「ばぁちゃん」と書きます)の容体が思わしくないということで、週末に実家の宮崎に帰ってまいりました。 ここでの「ばぁちゃん」はオフクロの母親のほうで、元々は福岡に住んでいました。 しかし、最近は少々ボケの症状も出始めて、福岡だと親類が看護するには少々辛い…ということで、私の実家である宮崎の、実家の近所の介護施設に入れるという話は聞いていました。 しかし、週末前にかかってきた電話では様子が違っていました。 「どうも1ヶ月もたないらしい」と。 なんでも、ガンが転移しており、もはや手の施しようの無い状況で、介護施設ではなく、病院(それも、治療目的ではなく楽に最後を迎えられるよう、治療をせずに普段どおりに過ごすような施設)に移されたとのこと。 「まだ意識のハッキリしているうちに一度会っておいた方が良い」との事で、急遽実家に戻ったわけです。
うちの(母方の)ばぁちゃんは、当時でいう「ハイカラ」な人で、凄くお洒落な人でした。 また、先に亡くなったじぃちゃんを自宅でほぼ一人で10年近く看護し続けていた献身的な人でもありました。
私が面会すると…会うのは3年ぶりくらいのはずなのに、このときは意識がしっかりしていて、こんなことを云ってくれたんです。 「しばらく見ない間に立派な紳士になりんしゃって」と。 この時点で嬉しくて泣きそうだったんですけど、ここは堪えて普段どおりに会話してました。
既に体力もかなり衰えているんですが、(ボケてると伺っていたにも関わらず)私が会話する時は割と意識がしっかりしていたのがちょっと嬉しかったです。 このまま退院して元気になってくれれば…と思っていました。

日曜日、再び会いに行ったときは、ちょっと体調が悪いようでキツそうな感じ。 ちょっと心配です。 そうこうしているうちに、私も帰らなければいけない時間になってしまいました。 恐らく、うちのばぁちゃんが健在なうちに会えるのはコレが最後です。 ばぁちゃんには、命の期限は知らせていないそうなので、本当は「じゃぁ、またね」と云うつもりでした。 だって、「さよなら」って言葉を口にした瞬間、次が無いって事がわかってしまうじゃないですか。 …しかし、「じゃぁ、帰るね。」と口にした次にばぁちゃんから出た言葉は予想すらしてませんでした。 「さよなら。」 確かにこう云ったんですよ。 普段、私との別れの挨拶では、「さよなら」なんて言葉を口にした事は一度もありません。 大体、「またね」とか「元気で」みたいな感じでした。 きっと、「さよなら」という言葉を口にしたってことは、これが最後だということを気づいていたんでしょう。 これに気づいたとき、涙が出そうだったんですけど、我慢して、ばぁちゃんの手を固く握って「…うん、さよなら。」と返事をしました。
ばぁちゃんが意識のあるうちに最後の言葉を交わせたということは嬉しかったんですけど、最後を意識してこのような言葉をかけてくれたばぁちゃんの気持ちを思うと、もう涙が止まらなくて…うちの両親と別れる前は我慢してたんですけど、飛行機に乗ってから電車で帰るまで、ずっと涙が止まりませんでした。 まぁ、こんな状況をシラフじゃ過ごせないので、売店で買ったウィスキーを呑んでいたりして、きっと周りからは「泣き上戸の酔っ払い」と思われてたに違いないですけど…

多分、明日は会社に行けません。 こんな精神状態だと、きっと笑顔を維持できないから。 何かの拍子に泣いてしまうでしょう… とりあえず、明日は一通り泣いて、涙が枯れてから、普段の業務に戻りたいと思います。 自分の不甲斐なさでこんな心境に陥ることはあったけれど、人のことでこんな心境になるのは多分始めて…だと思います。
もしかしたら、普段の業務に復帰しても、情緒不安定な部分があるかもしれません。 まぁ、このブログを本業の職務関連の人があんまり見てるとは思いませんけど、こんな事情なのでどうかご容赦願いたいと思います。