ダライアスバースト オリジナルサウンドトラック

(Amazon) ダライアスバースト オリジナルサウンドトラック / ZUNTATA


久しぶりにゲームミュージックの話題でも。
やはり、古くからのゲームミュージックファンならコレは外せないでしょう!というわけで、満を持して発売されたダライアスのシリーズ正当続編「DARIUS BURST」のサウンドトラックについて書こうと思います。
第一印象は「悪くは無いけどダライアスの曲じゃないよなぁ」というのが正直な感想でした。 それは、何度か通しで聴いた今もまだ拭えない部分です。 もちろん、メインコンポーザが歴代のダライアスを手がけた小倉久佳(OGR)氏ではない時点である程度は覚悟していましたし、「革新」を求めていくのは悪いことではありません。 でも、歴代のダライアスシリーズの楽曲を聴いたときに感じた「鳥肌が立つほど引き込まれる曲」が無かったというのは確かです。
ただ感想を書き殴るだけでは無責任なので(^^;)、その理由を少し考察してみたいと思います。
ダライアス」の楽曲は、続編が出る事に曲調が一新しているのは古くからのファンならご存知かと思います。 それは「バースト」のサウンドディレクターである石川勝久氏もこのサイトのインタビューで語っているとおりです。(以下に引用します。それ以降も同様)


石川:私が思うに、ダライアスシリーズのサウンドは毎回音楽的アプローチを大きく変えており、それが一つの特徴だと思っています。
これは確かにその通りです…が、次の発言を見ると、結果的にコレが原因でダライアス・ミュージックの「核」を失ってしまったように見えます。

つまり「ダライアスサウンドとはこうでなくてはいけない」という音楽的な縛りは存在しないと思っているので、コンポーザーに対してはできるだけ音楽的に自由に発想してほしいと指示しました。
曲調は確かにシリーズごとに違うかもしれません…が、だからといって縛りを無くしてしまって良いかどうかというのは別の話ではないでしょうか。 私は、この時点でダライアス」の名前を冠したゲームに相応しい音楽を作ることを放棄したように感じてしまいました。
もちろん、だからといって何でもかんでも奔放に作って良いわけではないので、石川氏からはこういう指示が出ていたそうです。

ただ自由に曲を作っていっても統一感のないものがバラバラに上がってきてしまうので、ダライアスシリーズ全体から感じるイメージを「宇宙の深遠さ」「生命」「混沌」のような漠然としてキーワードにして抽出し、それを発想の源として各コンポーザーに提示し作曲してもらいました。
確かに、各コンポーザの考える前述のキーワードは漠然と感じ取ることはできるのですが…それでも過去のシリーズで感じた説得力を今回はあまり感じませんでした。
ご存知のとおり、過去のシリーズは小倉氏一人で作曲を行っていました。(※コンシューマ独自の一部作品を除く) それらの楽曲は、各シリーズごとに序盤の曲から終焉まで1つの壮大なストーリーを紡いでいくような感覚がありました。 それはダライアス初代(及びII)が使っていた横長の画面の如く、1つの絵巻を見ているようでもありました。 これこそが、小倉氏が掲げている「音画」というコンセプトそのものだったのだと思います。
今回の「バースト」は、3人のコンポーザが作曲しています。(小倉氏も1曲のみ参加) 前述のように指示が漠然としたものであったことと、コンポーザが3人に分かれることで根底となる具体的なイメージが共有できなかったことが、核となるコンセプトが見え辛い原因の1つではないかと感じました。
また、今までのシリーズで存在した「Main Theme」の不在も原因の1つのような気がします。 過去のダライアスの音楽では、まず核となるテーマを表現した「Main Theme」(もしくは、明示されていないがコンセプトとなる楽曲)が存在し、それをモチーフに統一感を図る、またはそこに向かって盛り上げていくような手法がよく見られました。 しかし、今回の「バースト」では、それに相当する楽曲が(今のところ)明確に見えてきません。 結果的に、これも楽曲のイメージが散漫になっている原因と感じました。(但し、このような手法が全く取られなかったわけではないようです。 GAME SIDE Vol.21 のインタビューでは、石川氏の発言に「3名の向かう方向性を示す鍵となったのが、開発初期に土屋(※ダライアスバーストのコンポーザの一人「土屋昇平」氏)から上がってきた1曲です。(中略)その鍵に沿って小倉さんと小塩(※ダライアスバーストのコンポーザの一人「小塩広和」氏)と土屋がおのおのの方向性で作曲を進め、私がまとめ役をしています。」というのがあり、そのような手法があったことを示唆しています)
ただ、フォローしておきたいのは、上記の感想はあくまで「ダライアスの楽曲全体として」見た場合であり、個々の楽曲を抜き出して聴くと良いものもありますし、野心的な試みも垣間見えます。 例えば、「Open the Zone」は前作「Gダライアス」のイメージを匂わせつつ「バースト」の世界に誘うという意味で非常に重要な曲だと思いますし、「Good-bye my earth」は非常にキャッチーで、万人にオススメできるイイ曲だと思います。 他にも、「Hinder One」のトランペットソロは今までの作品に無かった面白い表現ですし、「Iron Corridor」のような広がりを感じる曲もなかなか面白いと思います。 それに、最近の他の作品ですと「スペースインベーダーエクストリーム」シリーズの楽曲はキャッチーで中毒性が高く、個人的には結構好きです。(「バースト」でも「Abyssal Holic」あたりは聴いた瞬間に小塩氏の曲だとすぐわかりました)
今回、「ダライアスの楽曲として」感じた違和感は上記のとおりですが、第一印象が悪かったアルバムも、後々聴きこんでいくにつれて評価が変わっていくものは多々あります。 今回の「バースト」も、「ダライアスシリーズの楽曲である」という呪縛を取り除きさえすれば悪くは無いと思いますし、実際何度も聴いていると愛着も沸いてきます。 ただ、それが果たして「ダライアスシリーズの楽曲として」理想的な評価か否か?という部分で疑問を感じたのも事実です。(結局のところ、私が「ダライアス(の楽曲)の幻影」に囚われているだけなのかもしれませんが…^^;)
歴史あるシリーズ物で楽曲を作る苦しみは想像に難くありません。 ユーザ(リスナー)が想像する理想像は一人一人異なるでしょうから、極端な話、「変革」をしてもしなくても、最終的には何を作ろうとも何らかの形で叩かれることは覚悟せねばならないでしょう。 それは、(ゲームミュージックに限らず)歴史あるシリーズに関わった者の宿命だと思います。 ただ、結果的に「Gダライアス」までのシリーズは楽曲においてファンの間で一定の評価を得ているのも事実です。(どれが一番かはファンによって異なるとは思いますけど) 今回の「バースト」において同じだけの評価がされるか否かは、今後歴史が証明していくのだと思います。 もちろん小倉氏と同じ方法論で良いとは限りませんが、全てを頑なに拒否してしまうのは勿体無いことだと思います。 手がけた作品に関して「評価された」あるいは「されなかった」本質的な理由を考察し、今後の作品にフィードバックしていくこともリスナーとの溝を埋めていくのには必要なことだと思います。
特に、ZUNTATAのコンポーザの方々には、ここで得た経験を糧に今後も良い曲を作っていって欲しいと切に願います。 現メンバーが従来のZUNTATAと方向性が異なっているのは明確ですが、むしろそれこそが新生ZUNTATAの肝であるとも感じています。 今後の作品にも期待したいです。