人を嫌うときの精神状態について

昨日とはまるで違う話になりますが(^^;)、最近改めて思うことについて。
詳細は差し控えさせていただきますが、私がプライベートで関わっているある部分(誤解の無いように書いておきますが、MSXAとかサイトロン関係ではありません)で、人間関係にトラブルが生じています。 私自身は、現在の当事者からは若干離れた位置にあるものの、ある方にとって不快に思われる発言をしてしまったり、火種となる原因を投下してしまったという部分では私にも大きな原因があります。 その際は申し訳ありませんでした。m(_ _)m
で、その方からメールが届き、それに関して回答をしているうちに、ここ数年で悟ったある事を思い出し、その方に進言しました。 それは何かと申しますと…
「他人に対して不快な気持ちを抱くのは、実は自分の嫌いな部分や欠点を他人に投影してるだけなんじゃないか」
ということ。 人間ですから、どうしても他人に対して不快感を抱いてしまうことはあろうかと思います。 ましてや、喧嘩しているような精神状態ともなれば、他人の嫌な部分が更に目立ってきてどうしようもなくなってしまうのでは、と思います。
しかし、ここで冷静に胸に手を当てて、相手に対して目に付く嫌な部分を自分に当てはめて考えてみてください。
実は、相手に対して嫌だと思っている部分が、実は自分にも当てはまりませんか?
もちろん、全てがそうとは限りません。 明らかに性格や考え方の不一致があってすれ違っているだけかもしれません。 しかし、冷静に考えたときに、半分くらいは当てはまるのではないでしょうか? それに気づくと、他人に対して手放しに批判することはできなくなるはずです。 そうすることは、まさに「自分のことを棚に上げて」状態になってしまうわけですから。
実は私も、数年前くらいまでは人間関係でトラブルになることもいくつか経験しました。 当時は、今思い返すと他人のアラしか見えていなかったように思います。 自分がしてきたことを自分に対してやった場合にどう思うか…? そう思い始めたときに、抱いていた感情の理由が明確になった気がしました。
最初の話に戻りますが、喧嘩しているときというのは、まさに「相手のアラ探しをしてそこを突き、自分を有利に進めようとする」心理が働いている状態とも云えます。 この場合、いくら的を射たことを相手に突きつけようとも、発言の重箱の隅を突くような部分を攻撃されて、いつまで経っても収束しない…ということが多々あります。 相手を攻撃するだけではなく、まずは自分に本当に非は無いのか、自分の発言を自分自身に向けた場合、どのような気持ちになるのか…をまず考えたほうが良いと思います。 そうやって、他人に対して向けた刃から相手に向けるべきではない感情を取り除いたときに、やっと問題の本質が見えてくるような気がします。