骨休めとなんとなく評論書き

というわけで、週末は都内のホテルに2連泊してました。 …もち一人で。(T_T) 前に日記で書いたとおり、最近いろんな意味で疲れてるので、なんだかゆっくり休みたかったんですよ。 そりゃ家で休みゃいいだろ!というツッコミが来そうですが、うちの家は物で溢れ返って狭い上に、色々あるせいでむしろ勿体無くてゆっくりできなかったりするんですよ。 むしろ、何も無いほうがゆっくり休めるんではないかと。 そういう意味で、敢えて家ではなくホテルで泊まることにしました。
で、何をやってたかと申しますと…相変わらず昼は古本屋でCDと古本を漁ったり。 夜はソレを読んだりもしましたが、日曜の夜はずっと前からやりたいと思ってたことに着手しました。 それは「ゲームミュージックの感想をちゃんとした形でまとめること」。 前々からこの日記でもゲームミュージック絡みの感想を思いつくままに書いてたりしましたが、今回は「読むに耐えうるちゃんとした考察」を添えて書いてみることにしました。 何故そんな事を始めたかと申しますと、1つはこの前の MSX WORLD で購入した、ブルボン小林氏の著書「ジュ・ゲーム・モア・ノン・ブリュ」という本を読んで衝撃を受けたこと。 この本はゲームミュージックではなくてゲームの評論本なんですけど、とにかく洞察が鋭い。 ゲームの評論はファミ通クロスレビューレベルの小規模のものも含めると結構ありますが、ついつい「演出が云々」とか「ユーザインタフェースが云々」なんて話に終始してしまいがちです。 これは、どちらかというと専門家から見た視点であり、実はユーザから見た場合には特殊な視点とも云えなくもありません。 しかし、前述の著書では、ユーザから見た素朴な反応であるとか、パッケージや発売背景全てを含めたゲーム全体から読み取れる部分を(恐らくゲームを作った人達が意図してなかったような部分まで掘り下げて)面白く解説しています。 私はコレを見て目から鱗が落ちました。 ゲームを評論する視点はこんなところにもあるんだ!と。 そしてもう1つは、ゲームミュージックに関して、前述のようなしっかりした評論が実はあまり存在していないのではないか、という事です。 今まで、ゲームミュージック関連のコラムや書籍はいくつかありました。 例えば、罰帝氏が関わっている「そうだ、ゲームミュージックを聴こう!」という書籍があります。 この書籍は、膨大なデータベースや音源の歴史、コンポーザへのインタビューが中心となっており、ゲームミュージックのレビューもありますが、ほとんど囲み記事的な扱いとなっており、あまり深く掘り下げた記事は載っていませんでした。(私も囲みレビューを数本書かせていただいたのですが、文字数が少なくて、どのような切り口で伝えるか随分苦労した記憶があります) もちろん、この書籍はレビューよりも資料的価値を重視して作ったと思われるので全然構わないんですが、ふと眺めてみたときに、ゲームミュージックに関して論者の主観をちゃんと展開して長文レビューを書いた書籍などがほとんど無いなぁ、と思ったわけです。 じゃぁ、無いなら自分で作ればいいや。 というわけで、始めてみることにしたわけです。
とりあえず、一発目に選んだのはMSXソフト「夢大陸アドベンチャー」の音楽について。 …いきなり趣味に偏ってますが(^^;)、このゲーム、プレイした人に話を聞くと、必ず「音楽が良かった」という言葉が出てきます。 しかし、このゲームはMSX以外に発売されておらず(PS/SSでMSXコレクションの形で出てはいますが…そもそもコレ買う人って過去にMSXユーザだった人ばかりでしょうから…^^;)、まさに「知る人ぞ知る」的な存在となっています。 じゃぁ、何故その音楽がここまで評価されているのか、自分でソレを探る意味も含めて色々と調べつつ書いていきました。 そして、私が出した1つの答えは…簡単に書くと「夢大陸の音楽は、場面の情景ではなく実はプレイヤーの感情を表す音楽だった」という事。 コレは、そのまま(全てというわけではありませんが)昔のゲームミュージックと今のゲームミュージックの違いに当てはまるのではなかろうか、と。 音楽が感情に直結しているからこそ、プレイヤーの印象に密接にリンクし、プレイした者の脳裏にいつまでも焼き付いているんじゃないか…と思ったわけです。
…とまぁこんな感じで色々書いてるわけですが、2本目の途中でタイムアウト。 本当は休み中に5本くらい書く予定だったんですが…(^^;) ここで書いた成果は、いずれ何らかの形で発表したいと思います。 それが同人誌になるか商業誌になるかはわかりませんが…(ていうか別にライターではないので後者は無理くさいですが…一応願望ということで)